書籍大臣は虚構のなかで

書籍大臣と書いて、"ほんのおおおみ"と読みます。

(4)『現代アフリカ入門』 / 勝俣誠

現代アフリカ入門 (岩波新書) / 勝俣誠

*1991年に出版されたものです。

 

勝俣氏は明治大学の国際平和研究室に属している教授(所長)で、所長挨拶では「そして、そもそも私たちはどんな世界に住みたいのでしょうか」と問うている方です。飢餓の問題、貧困の問題、紛争の問題、人権の問題、いろいろな課題が世界中にあるように感じますが、その問題を「そもそも」の地点に立ち戻り、もういちど考えてみようとする、腰の据わっている、息の長い、思考の持ち主だと思います。

 

しかしながら、この地域に対するヨーロッパの支配に対して、「民族国家」の誕生を意味する独立を、アフリカ人が明確かつ広範にわたって要求しだしたのは、第二次世界大戦が終了した、比較的最近からである。…「独立」とは、いつから、どのような過程を経て、どのような統治単位をもとに生まれてきたのであろう。このような、一見アフリカ近代史において今さら投げかける必要がないほどわかりきった問いに、改めて答えてみようとすることこそ、今日のアフリカ社会のあり様を、いっそうはっきりと見て取れる一つの手だてである。(p.9)

 

「もう議論する必要も、分析する必要もないことを、もういちど」という姿勢が、私はとても好きです。くわえて、入門というタイトルコール通り、私のような世界情勢に無知な人間でも読んで理解することができます。

 

(もちろん先に断っておかなければならないのは、世界史を日本語で書いているという点です。人名や地名のカタカナな暴風があったと思ったら、すぐに「国際平和機構」みたいな画数の多い六字熟語や、「ICE」みたいな意味のとりにくい略字だったりが登場して、読みにくさを演出してくれます。それと大事なことに、勝俣氏の文章はそこまでフラットではなく、割と堅めの論文チックなのも難しさを増強させているかもしれません)。

 

ソマリランド共和国」(『謎の独立国家ソマリランドがオススメです)、「フランス連合」、「クスクス暴動」、「シャンガイブルー」、「イスラムはわが宗教、アルジェリアはわが祖国、アラビア語はわが言語」、「チカヤ・タムシ」、「グループライツ」、

 

しかし、アルジェリアで今日危機として顕在化しているは、アフリカの最貧国で飢えによって生理的に社会が再生産しにくくなっている「絶対的貧困」とは異なる、「相対的貧困感」ないし「不平等感」なのである。(p.45)

 

構造調整政策とは、アフリカ諸国が対外責務返済を繰りのべてもらう条件として、返済資金を捻出できるように、公共部門の縮小、公務員給与と各種補助金の削減、通貨切り下げなどによる輸出促進、輸入の自由化などの債権国グループ側の勧告を受け入れることである。もし勧告を拒否すると、「非協力的な国」に分類され、以降、IME・世界銀行はもとより、ほかの資金の流入もとまってしまう危険をおかすことになる。この政策の実施は、二つの経路を通じて、民主化の動きを準備する役割を果たした。(p.66)

 

もし、政府開発援助(ODA)として出資されている構造調整援助が、単にアフリカ諸国の債務返済を迫るものでなく、貧困の解消を目的とするならば、今や構造調整策は、将来の開発を語るだけでなく、日々の貧困にどう対処すべきかにも明確に答えることが要求されている。…むしろそこで問われるのは、この大陸に注ぎ込まれた開発援助が、しばしば本来の民衆の手によって交替されるべき独裁政権を逆に延命することに貢献し、貧困問題に正面から取り組もうとしなかった点だろう。(p.105)

 

テーマの多くは、経済の話となっております。出てくるものは、かなり厳しい話ばかりで、私のような判官贔屓で感情移入をしてしまうと、やられかねます(苦笑)続けて、

 

しかしながら、援助を民主化に結びつけるこの「リンケージ外交」が、八九年にフランス革命二〇〇周年を迎えた同国の人権尊重の原則によるものであるとは、安易に断言できない。多くのアフリカ人は、フランスが自国の権益を守るためには、中央アフリカやザイールなどの国々の人権侵害の報告などものともせず黙々と援助を続け、南太平洋やカリブ海では、今なお海外県・海外領土と称する実質的植民地を力により手放そうとしないことを知っている。(p.71)

 

こうした立場はフランスだけではなく、他の先進工業国にも広がっていくものと考えられる。…このギニア一つとっても、世界最大のボーキサイト資源を有しておきながら、独立後の三〇年、年間国民所得が約三〇〇ドルという最貧国にとどまり、経済の自由化政策のもとで、今や「白人」のマネージャーや援助関係者が戻ってきている。では、現在、この大陸に吹き荒れている民主化の嵐は、アフリカが経済的苦境を脱出し、かつての尊厳を回復できる契機となりうるのだろうか。(p.72)

 

勝俣氏の話は、どんどんと核心に近づいて参ります。

 

だが、アフリカで今日必要とされている民主化は、不正を告発し、国の富をより構成に分配させることだけではない。これはまたいかにして、国民がみずからの創意とやりがいをもって、国の富の形成に参加できるのを可能にするか、という使命を負っている。したがって、もしアフリカの尊厳をアフリカ人自身が語るとしたら、これは自国の地下に眠る金や石油といった天然資源でもなければ、広大な大地でもない。何よりもまず自国の富の形成のために、どのくらい広範にわたり国民が納得して参加しているかであろう。(p.75)

 

すごく本質的です。

 

今日のアフリカは、世界の中のアフリカである。この大陸のどんな奥地にある村でも、一本の道があれば、その道は必ず都会に行きつき、その都会のかなたには先進工業国の世界が待ち受けている。いつの時代にもまして、人は移動し、商品は売り買いされ、情報は流れていく。逆に今日のアフリカで、人もモノも動くことなく、情報も滞留してしまっている共同体を見つけることはますます困難になっている。したがって、今日のアフリカを見る時、この大陸が望もうと、望むないと、拡大してきている外部世界との関係においてこそ、その政治、経済、社会の様々な問題を考えなくてはならない。(p.188)

 

世界史では学びきれなかった「アフリカ」 - それが現代ではどうなっているのかということが、かなり詳しく分かりました。この一冊が書かれた1991年から、もうすでに23年も経っているわけで、現在のアフリカの本質を見つけるためには、このような一冊を経由しておくのがよいかもしれませんね。著者に言わせれば、「世界の中のアフリカ」ですしね。

 

ありがとうございました。おわる。

 

しーゆーれーらー