書籍大臣は虚構のなかで

書籍大臣と書いて、"ほんのおおおみ"と読みます。

(2)『自分探しと楽しさについて』 / 森博嗣

自分探しと楽しさについて (集英社新書) / 森博嗣

 

大学教授であり小説家でもある森氏が、だれでも悩んだことのあるだろう「自分とは誰か」「自分らしさとは何か」などについて書いた本です。バリバリの理系らしい「きっちりした文章」は、もしかしたら、村上春樹氏などを自分のなかの文章像としているような文系の方には合わないかもしれません。

 

また哲学書の体裁ではないので、ひとつひとつの問題に対して「深くは掘り下げていない」こともひとつの特徴でしょう。新書らしい、つまり、難しいことは分からないけれど、「自己-他者」に関する入門的な本を読みたいと思っている人にはオススメすることができます。この本を読んで、なんとなく理解することができたら、精神分析系の学者が書いている自己他者論を読んだり、もっと深遠なものに手を出したければレヴィナスやブーバーなどの自己他者論を読んでみても面白いかもしれません。

 

自己他者論の魅力的なところは、「書かれていることに関して自分は絶対に知っている」ということだと思います。どんなに難しいことが書かれていても、自分について、他者について、自分と他者との関係について、あるいは自分と「それ」(非人格的なもの)との関係について、そういったものは私たちがすでに知っているはずのことですから、辛抱強く読み続けていれば、どこかで分かるタイミングが来るということです。

 

そんな自己他者論が、簡単な言葉で、理路整然と書いてある新書です。

 

間単にいえば、自分が何を欲しがっているのかがわからない、という状態かもしれない。目の前にショーケースがあって、そこに商品が並んでいれば、その中から一番欲しいものを指さすことはできる。子供のときから、そうやって「欲しいもの」を決めてきた。…ところが、自分の生き方というものは、どこのショーケースにも陳列されていない。似たようなものは多々あるけれど、それが本当に自分にぴったりマッチするものなのか、今一つ疑わしい。つまり、ショーケースの商品を求めるように、他者の生き方を観察し、誰かの真似をしようとすると、必ず無理が生じる。(p.6)

 

ネット波乗りをしていると、たくさんの人の、たくさんの活動に出会うものです。動画サイトで歌唄いとして活動していたり、クリエイター集団を集めて創作活動したり、自分のやりたいことのために資金を集めたり、日々の勉強の成果を日記にして発表したり、観た映画・読んだ本などの評論を書いている人もいます。

 

ただ、それをどんなに目の当たりにしたところで、インターネットは「他人のやっていること」しか教えてくれません。私がやるべきこと、私にぴったりのこと、そういったことは検索窓に出てこないのです。

 

「他者」というものが、どれくらい「自分」に影響を与えているのか、ということを自覚するのはとても大切だと思う。それを考えることで、「自分」がより一層はっきりと見えてくる、ともいえる。それくらい、実は「自分」は「他者」によって形成されているものなのだ。(p.93)

 

簡単に言っているけれど、これは実際にとても難しいことです。たとえば、心理学には「単純接触効果」というものがあり、この実験(**Link:「こころについて語るとき我々の語ること」)は、ほんの些細なことがどれだけ自分に(あるいは他者に)影響するかを教えてくれます。重要性の全く無いような、本当に本当にどうでもいい接触が、自分や他人に与える影響というのは、正直なところ「計り知れない」ものであると言ってよいでしょう。では、ガッツリと関わる人間 ― すなわち親族、兄弟、恋人、友達、同僚、毎日乗る電車のアナウンサー、毎日通うコンビニのレジ店員など ― から受ける影響というのは、もう、自覚しようと思っても不可能なのではないかとさえ思えてくるものです。

 

「他者」に依存したもののわかりやすい代表格として、「勝負」がある。他者と自分を「勝ち」と「負け」で分ける行為だ。競争社会なので、どんな場面でも勝ち負けがあるのはしかたないが、しかし、「勝つことが楽しい」という感覚は、他者に依存しているので、その「楽しさ」を自分だけで味わうことはできない。…楽しさとは、けっしてそういうものではない。楽しさは、「他者」との比較から生まれるものではない。「自分」の中から湧き出るものだ。(p.118~121)

 

いまや「はい、論破」でお馴染みの文脈かもしれませんが、勝手に勝負し始めて、勝手に勝利していく人がいます。そういう人に出会うたびに、その人は「勝ち負けの二元論」に縛られている不自由(もちろん勝負を勝手に仕掛けて、勝手に勝敗をジャッジするあたりは自由)な人なのだろうと同情にも似た寂れる感情を抱くのです。

 

「(他人を巻き添えにしないタイプの)楽しさを見つけることが、自分を見つけることだ」という論旨を、森氏は貫いております。それはショーケースとして、あるいはカタログとして与えられるものではなく、用意してもらえるわけでもなく、自分の足で見つけなければならないのでしょう。

 

旅の目的は、「姿を晦ますこと」(p.166)なのだ、と、森氏は言います。これを読んだときに、楽器のチューニングと似ていると思いました。私の場合は専らギターですが、チューニングをするためには、まず1~2音ほど低いところまで落として、そこから正しい音に引き上げていくものです。つまり、まずは「音を晦まして」から、正しい音を探るということなのですね。いきなりドンピシャで正しい音に辿り着ければ、それに越したことはないのですが、人間はそこまで立派なマシーンではありませんから、このような手法が最善なのでしょう。

 

だから、旅の目的は、「チューニング」だと言い換えてもよいかもしれません。自分探しというのは、結局のところ、「いまここに居る自分」に意識を合わせることだったり、改めて認識し直すことだったりするのではないでしょうか。森氏の言うように、それは旅じゃなくてもよいし、庭の落ち葉ひろい(p.52)でもよいのです。

 

人間関係、生きることについて悩んでいる人にとって、穏やかではないけれど確かなヒントを与えてくれる一冊だと感じます。ぜひ手にとってみてくださいね。

 

それでは、ありがとうございました。おわる。

 

しーゆーれーらー